Akane's Lab はじめてのひとりぐらし inドイツ

24歳ただいまドイツで奮闘中。

いただきますのこころ。

 

先日夕食の際、鯖を食べながら日本の宗教の話になりました。

彼は骨の取り除かれていない魚を食べるのが苦手で、骨まで食べてしまうわたしを人間ではないものかのように見てきますが、頻繁に調理して好きにさせてやろうと企み中です。(笑)
成功するかは残念ながら不明。

生きものなんだから骨があるのは当たり前でしょ。

 

日本の多くの人は、普段自分の信仰についてあまり意識していないと言われています。
お祈りを毎日するわけではないし、宗教的な慣習や行事が日常生活に直結しているわけでもありません
また他の文化を取り入れることが上手な(?)日本は、生まれたときは神道、結婚するときはキリスト教、亡くなったら仏教と言われるように、ごちゃ混ぜ宗教の文化です。
 
信仰は?と聞かれると、うーん家は仏教だけど自分自身は特に信仰とかないよなあ、と回答に困ってしまう、そんな人も多いのではないでしょうか。
わたしもそのうちのひとりです。
特にドイツに来てからそのような話になることが多々あり、日本の人は宗教を意識していないんだよ、と答えていました。
 

でも、本当にそうなのでしょうか。

 
ドイツで生活をし始めて異なる文化の人の中にいると、日本にいたときには気がつかなかったことに気づきます。
そのひとつが、日本は宗教色が強くないけれど、日本の文化、考え方のベースに仏教や神道が流れている、ということです。
 
例えば仏教がもとになっている 、自業自得という考え方。
自分の良い行いや悪い行いが、その後良いことや悪いことを導いている。
宗教について考えていなくても、この言葉は日常的に使いますし、ルーツを理解していなくても少なくとも何となくは、意味を理解できます。
わたしはこれまで、自業自得という考え方についてそこまで深く考えたことがありませんでした。
悩まなくても当たりまえの考え方だったからです。
 
しかしドイツに来てから、これが当たり前でないことを知ります。
説明して、言葉の意味はわかってくれても、多くのドイツの人は理解することができません。
 
今まで自分が仏教徒だと意識したことはありませんでしたが、仏教の考え方が自分の思考に流れていると認識した瞬間でした。

           

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いただきますのこころ。

他の例を考えていて思い浮かんだのが、いただきます です。
神道ではすべてのものに神様が宿っていると考えますが、これがいただきますにも繋がっているのではないかと思ったからです。
 
いただきます と言って食べるとき、そのベースにあるのは、食べものに関わったすべてのものへの感謝の気持ちだと思います。
少なくともわたしのベースは、みんなにありがとうであると確信をもって言えます。
 
ただ、作ってくれた人がいれば感謝の気持ちは必ず表しても、いただきますを言うときに毎回毎回、地球ありがとう!太陽ありがとう!と考えているわけではありません。
 
ここで彼の質問は、”いただきますというときに感謝の気持ちを頭で考えていなくても、その気持ちは機能しているのか?” ということでした。
わたしの答えは、YES。
なぜならそれはいちいち頭で考えているものではなくて、常に心に流れているものだからです。
その気持ちがあるからこそ、食事の時間は大切にしたいし、食べものは無駄にしたくない。
これもわたしにとっては当然のことでしたが、ドイツに来て言葉で説明しなければならない状況に置かれて初めて、他の文化では当たり前ではないということに気づかされました。
 
いただきます、は毎日必ず口にする言葉。
わたしたちが意識していなくても知らず知らずのうちにその考え方が浸透していっています。
ドイツに来てから、日本の食文化の良さを改めて感じます。
いただきますもそのひとつで、何とも素敵な言葉です。
そして ”いただきます” の文化が、食べものや作ってくれた人、食べものに携わったすべてのものへの感謝の気持ちを、特別に教え込まれなくても感じられるということも、とても素敵なことだと思います。
 
どこにいても、将来どこに住んだとしても、この気持ちは忘れません。
 
その日から食事の前には、ドイツ語のGuten Apetit と日本語の いただきます をどちらも言うことに決めました。