視覚とは何か。ドイツのカフェで出会ったブレイクダンサー
10月から働かせてもらい始めたカフェでのできごと。
夕方、頭にバンダナを巻いて眠そうな顔をした若い男性が入店した。
普段のお客さまは、オーナーの友だち、近所の奥様おじさま方や子ども連れの方、時々カップル、といったようにどちらかと言えば穏やかな人びとで、ヘイヘーイ!と近づいてくるような人はそうそういない。
おっと今日のお客さまはちょっと違う雰囲気だな。
そう思っていると案の定、
” Latte Macchiato. (ラテマキアート) "
と、3ユーロを手にひとこと。
酔っぱらったような口調だ。
来た来た、気を付けたほうがいいかも。
場所に関わらないが、ドイツ語を操れないという弱点がわたしにはあるので、こういう場合は少し用心深くなる。
ラテマキアートを手渡し、早く飲み終わってくれないかと願いながら (申し訳ないが) 用心深く見ていたが、なかなかおくつろぎの様子。
ときどき電話で話しながらゆっくりとラテマキアートを楽しんでいる。
そして突然、
" Hey young lady, is it allowed to smoke here? " (ヘイ レディー、ここで煙草は吸える?)
と聞いてきた。
やっぱりか、と思いつつお断りすると、問題ない、かまわないよ、とのこと。
意外と素直だが酔っ払い口調には変わりない。
” By the way, what is your mother toungue ? " (ところで、君の母国語は?) と男性。
日本語だと答えるといきなり、
” わたしは、カールです。”
!!!!!!!
それまでの態度と流暢な日本語のギャップに驚いたわたしは、発音がとても良いと伝え、日本語を学んでいたのかと聞いた。
前の恋人が日本人だったそう。
そしてさらに、
" She told me one of Japanese songs too. (彼女は日本の歌も教えてくれたよ。) ”
♬ゆうや~けこやけ~の~あかと~ん~ぼ~~♪
なんときれいな歌声で赤とんぼの冒頭を披露してくれた。
アイドルの歌かアニソンか、J POP かと予想していたわたしは度肝を抜かれた。
まさかドイツで、しかもこんな哀愁とは程遠そうな男性から、赤とんぼを聴くとは。
男性は席を立ってわたしに近づいてきた。
次は、絵を描きたいから紙とペンを貸してほしいと言う。
絵を描きたい?
やっぱりちょっと不思議な男性だと思いながら小さなメモとペンを渡した。
数分後、
描き終えたメモをわたしに手渡し、ブレイクダンスをしているからよかったらYouTube で見てみて、と。
メモには、彼がダンスをしている可愛らしい絵と、リンクが書いてあった。
そう、彼はストリートアーティストだった。
最後に、" It was really nice to see you. " (会えてよかったよ。)
と相変わらずの酔っ払い口調であいさつをして、ブレイクダンサーの男性は店を後にした。
男性が去ったあと、思いがけない会話に幸せな気分になったことは言うまでもない。
視覚
人は見た目が〇割、と言われるように、人間は人を外見で判断してしまうことが多い。
だからこそ、多くの人が自分自身の外見もより良くなるように、理想に近づけるように努力や工夫をする。
人に対してだけではない。
食事は目で食べるという言葉がある。
特に日本の文化は、食を愉しむことを大切にするので、目で楽しむという過程も忘れ無い。
(一概には言えないが、ドイツに来てから日本の文化がどれだけ食を重きにおいているかということを強く認識し、日本の食文化が改めて好きになった。これについてはまた別の記事で。)
ドイツにもこの考え方はあるようで、ドイツ語では、
" Das Auge isst mit " (食事は目で食べる)
と言うそうだ。
また例えば、青は食欲減退の色と言われ、青い眼鏡をかけて食べると食べものが美味しく感じられない、といったような実験も聞いたことがある。
ドイツに来てから、視覚がなかったらどうだろうとよく考えるようになった。
街を歩いているだけでも毎日たくさんの新しい発見があるが、そのほとんどが目から入る情報だと気づいたからだ。
もちろんほかの感覚も働かせているが、視覚から吸収される情報量は半端ない。
先日、視覚はわたしたちが創り出したバーチャルリアリティーだ、というようなプレゼンテーションをTed talk で見た。
視覚はわたしたちの他の感覚をも左右する。
食事の話のように、視覚とのコラボレーションを愉しむことができる一方で、視覚のもたらす影響のために、実際の感覚を失っていることが多々ありそうだ。
何かを感じようとするとき、一度目を閉じてみるのもいいかもしれない。
ちなみに、B boy の男性のダンスはこちら。
今では、またお店に来てくれないかと心待ちにしている。